「あの人、嫌い。大嫌い」
「あの人は嫌いじゃないんだけど、ちょっと苦手」
このような会話が、あなたの人生上において一度は交わされているに違いありません。
「嫌い」は嫌いであって、「苦手」は嫌いとは限らない。
うーん。
本質的にはなんとなく理解できているはずですが……。
「嫌い」である理由と、「苦手」への理解と
野生の鳥などは、自分のお相手に選ぶ異性を本能的に察知して、一生懸命に愛をさえずって求婚する相手を尻目に「あんたなんかキラーイ!」とばかりにプイとそっぽを向き、後足で砂をかけるがごとく、ピャッと飛び立ってしまいます。
私達……人間にも異性に対しては、野生動物と同じく、「嫌い」の感情には往々にして本能的に避ける理由や生理的嫌悪というものが含まれていると考えられます。
「苦手」は客観的な感情だと考えられます。
写真などでその人を見ていて好印象を持ったとしても、いざ会って直接話してみると、「なんか小難しそうなことばかり言ってて、話が合わないから苦手」といったこともあるでしょう。
各々、もう少し見ていきましょう。
「嫌い」について
「嫌い」の意味は、自分から見て好ましくない物や人、状況などです。
全くの私的な感情であり、他人がどう思おうとも嫌いは嫌い、なのです。
「嫌」の一語には、嫌う、いやがる、にくむ、うたがう、という意味があります。
「物」に対しての「嫌い」の対処法は、避ければ良いだけです。
例えば、ピーマンが嫌いならば、二度と食べなければ良いだけの話ですが、「人」に対しての「嫌い」はどうでしょう。
人間関係において「嫌い」の感情を無視して生きていくことはまずできません。
その人に会わなければ良いとして、そして、実際にその人を避けまくって忘れたと仮定(実際は、忘却は不可能であり、忘れたと自分に思い込ませているだけ)しましょう。
ですが、何かのきっかけがあって(その人に似ている人を見たなど)、その人を思い出せば、「その人が嫌い」という感情に飲みこまれ、楽しい出来事が一変してしまうほどの状況に追い込まれます。
それほどまでに、人間は感情に振り回される動物なのです。
ましてや、嫌いな人が自分の身近にいたら、毎日がストレスの連続です。
「嫌い」という感情が芽生えるのはなぜ?
人間の感情は複雑ですが、ざっくり分けて下記の理由が考えられます。
- 過去に何か嫌なことがあった、嫌なことをされた、という具体的な理由付けがあって、「その物」や「その人」を嫌っている。
例を挙げれば……
「子供の頃にピーマンを食べて苦くて吐きそうになった」とか、
「会うたびに『その人』に意地悪をされた」など。
過去のトラウマが原因で、どうしても好きになれないというパターンです。
特に「人に対しての嫌い」は、「その人」だけでなく、「その人に似ている人」も嫌いになる傾向があります。
*自分は忘れているつもりでも、潜在意識下に「嫌い」という感情が隠れていれば、自分で意識せずとも「嫌い」と感じてしまいます。
- 自分に似てる?似てない?
心理学の世界での法則では、「その人のことが嫌いなら、それと同じだけ自分自身も嫌い」とされています。「嫌いな『その人』」は、自分自身の姿を投影したもの(影・シャドー)と見なされるのです。
私達は、皆、自分が自分自身に対して決めたルールに沿って生きています。
それは幼い頃からの躾けであったり、暮らしてきた生活環境であったり、様々で細かなルールです。
自分の姿を投影した「他人」が、自分のルールに逆らった行動をとれば、無意識に癇に障り、嫌いになる。
例を挙げれば……
「お箸の使い方をちゃんとしなさい」と言われて続けて育った人が、ねぶり箸や迷い箸などの他人の箸の使い方を見て癇に障る。
自分にとっては許されないルールであるのに、「その人」がやっても許されている……ということが嫌なのです。
また、「『その人』の傍若無人な振る舞いが嫌い。上から目線だし、わがままだし、勝手だし、お金遣いも荒いし……」と悪口を言うこともあるでしょう。
シャドーとは、誰しも持っているが活かされていない側面のこと。
スイスの精神科医であり、心理学者でもあったユングが提唱した概念です。
- 普段は表面に出さないが、隠し持っている自分の嫌な側面
- 受け入れ難い現実及び価値観
- その人は持っているが、自分にはそれらを持ちえないという嫉妬や憧れ
前述の箸の件についても、「自分もちょっとはやってみたいけど…」という自分のシャドーを押しころした結果、「『その人』は行儀悪いから嫌い」という感情につながるのだと考えられます。
「その人」のように振る舞いたい、勝手気ままに遊びに行って、お金も気にせず遣ってみたい、と無意識に感じている。
無意識下の嫌悪している自分自身の側面を、「その人」の中に見出してしまい、その結果、「その人」が嫌いになるのです。
- 生物としての本能的な「嫌い」
過去の出来事に影響されて、異性の好みが左右されることも勿論あるでしょう。
ですが、それとは全く別物で、異性に対する「嫌い」は本能的なものであることも有り得ます。
前述の野生動物と同様、「この異性とは絶対に合わないな」と勘を活かして本能的に嗅ぎ取っているからこそ、「嫌い」という感情が生まれるのだと考えられます。
また、初めは「嫌い」だった異性に対して、その人に何かをして貰ったとか、本当にふとしたきっかけで好意を抱くということも有り得ます。
意外性を見出したとか、自分で思っているほど嫌いではなかったなどの理由もありますし、人間は感情だけではなく理性の動物でもありますので「『あ、そんな悪い人でもなかったんだぁ』と心ではなく、頭で理解した上で」好感を抱くのだと考えられます。
「苦手」について
「苦手」には、扱いにくい、得意でない、などの意味があります。
松岡修造いわく、「苦手意識は慣れで克服する」
ボレーが得意でなければ、ボレーの練習。
サーブが決まらなければサーブの練習。
地道に積み重ねることで、苦手なものは克服できる、ということですね。
人前に出るのが苦手な方も、敢えて自分をそういった状況に追い込むことで(発表会など)克服できるでしょう。
つまり、「苦手」とは、「失敗するんじゃないか」という不安を抱えた状態の抵抗感です。
抵抗感に捕らわれた自分を解放してやるには、その行動を何度も繰り返して実践することで慣れに転じ、不安自体を打ち消すのです。
苦手な状況の解消法は以上ですが、苦手な人に対しては?
人間同士には、相性というものが必ずあります。
外見や仕草だけ見た段階で「この人、苦手」と思う人もいますし、いざ対面して喋ってみて「ああ、苦手な人だった!」と思うこともしばしば。
「苦手、苦手」と避けていては、いずれは「嫌い」に転じるかも。
軽い「苦手」の感情は、生理的な嫌悪感とはだいぶ違うのですから、うまく折り合いをつけてやっていきたいものですよね。
第一印象でとっつきにくいと思っていた人が、その後一緒に行動するようになり、唯一無二の大親友になったという話も聞くことですし、「苦手意識は慣れで克服する(松岡修造)」というのが当てはまるのなら、苦手な人にも積極的に関わり、コミュニュケーションを密にすれば、いずれは親密な仲になり得ます。
会話が主なコミュニュケーションツールになりますが、この場合、
- 聞き上手と聞き上手は、会話が弾まず質問ばかり
聞くのが好きな者同士は、互いを質問攻めにするばかりで話題が膨らみません。
- 話し上手と話し上手は、自分が自分がとゴリ押しし、相手の話は聞いてない
自分の話がしたい者同士なので、共通項がないのであれば会話はぶれまくり、相手の話など聞いていません。
- テンションの違いは致命的
ハイテンションの人 VS ローテンションの人 が会話すると、ローテンションの人が疲労困憊します。
*「苦手」な人の中に、自分と似ている部分を少しでも見出すことができれば、仲良くなれるキッカケになるでしょう。
あまり無理せず、自分がストレスで潰されないようにするのが大切です。
まとめ
「幸せになればなるほど嫌いな人がいなくなる」という法則があるそうです。
確かに、自分が幸福感でいつも満たされていれば、嫌いな人など出てきそうにありません。
また、「人の振り見て我が振り直せ」と諺にもあるように、たとえ嫌いな人の言動でも、その良し悪しを見極めて、自分の振る舞いに活かすのは大切ですし……
かと言って、嫌いな相手を無理に好きになる必要はないのです。
好きになろう、好きになろう…と自分に暗示をかけている時点で既にストレスがかかっています。
また、
「好きこそ物の上手なれ」とあるように、好きなことは自ずと熱中するので上達も早いのも確かですよね。
ですが、最初は「苦手」と思っていたことを見事にやり遂げ、身に着けたときの達成感も貴重な体験です。
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