好きな人の視線が自分ではない他の人に向けられていて「やきもちをやく」。

自分より優れている人がいて、周りもその人のことを褒めていて「嫉妬する」。

元々は一つの言葉でしたが、時代の流れでイメージが分かれてきた言葉の一つです。

やきもち 嫉妬 違い

元は一つでも、今では感情の方向性に違いがある

「嫉妬する」は「妬く(やく)」とも言います。

「やきもち」は「焼き餅」と書き、物理現象の「焼いた餅」と感情の「妬いた気持ち」がかけ合わされて誕生したと言われています。

また、嫉妬心から現れる表情の一つである頬を膨らませた顔が、焼いている餅の膨れる様にも似ていることから定着しました。

そして時が流れるにつれて、それぞれ方向が分かれていったのです。

ここでちょっと想像してみましょう。

自分の好きな人、仲の良い友人、家族が自分を相手にしないで、他の人や物に意識が向いていると、どんな気持ちになりますか?

その気持ちはどこに向いていますか?

やきもちは好意の感情

そっちじゃなくて、こっちを見て!というような気持ちになれば「やきもち」です。

幼い子供であれば、特にわかりやすいですね。

新しく弟妹が生まれて、親がそちらに目を向けているのを気に入らないで赤ちゃん帰りするのが典型的な例です。

ペットにもそういった行動をするのがいます。

普段は素っ気ないのに、自分以外の物事に集中していると邪魔してくるのが一例です。

他じゃなくて自分を見てほしいという焦りの気持ち。

嫌われた?嫌わないで!という恐れの気持ち。

全ては好きだからこそ、こういったふくれっ面などの拗ねた表情や行動に現れるのです。

親しい人が、ちょっと冷たくなったり、寂しそうだったり、不機嫌そうだったりする様子が見られたら、自分のことが好きなんだと思って良いでしょう。

ただ、場合によっては全くの見当違いかもしれませんので慎重に判断することをお勧めします。

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嫉妬は憎悪の感情

なんでそいつばっかり!というような気持ちであれば「嫉妬」です。

「やきもち」だけで収まっていれば可愛いものですが、好きな人の意識が向かれていた人や物に悪意を向けたり、何らかの危害を加えるようになったりした段階です。

また、自分よりも幸福だったり優れていたり恵まれている人を羨む気持ちも「嫉妬」になります。

近しいものでは、自分の現状が受け入れられずに、なんで自分だけがこんな扱いなんだと思い込んでいる感情の「僻む(ひがむ)」があります。

「嫉妬」も「僻む」も、周りに対して憎むようになってしまえば、「妬む(ねたむ)」、「嫉む(ねたむ・そねむ)」という感情になります。

まとめ

「やきもち」は柔らかい、丸い、可愛らしいというイメージで、「嫉妬」は窮屈で苦しく、暗いような負のイメージになりますね。

一方は幼いような平仮名ですが、もう一方は女の暗い部分を表現している漢字だからでしょうか。

「妬」は夫に対して積もり積もった不満を、「嫉」は女心の病を表していると言います。

こうして見ると、「やきもち」という、まだ明るいイメージの言葉を生んでくれた先人に感謝したくなってきますね。

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