自民党の代表者や民主党の代表者というのは、政治にあまり関心がない方でも大概はご存知のことと思います。
ですが、この両者の政党の顕著な違いってなんでしょう?
両者とも「民」の字が入っているあたり、民を中心に置き、民に尽くしてくれるありがたい政党なのでしょうか。
実は、民主党という政党は既になく、2016年3月27日に解散しました。
維新の党との合流というのが解散理由で、民主党に替わって後継政党として成ったのが民進党です。
自民党は混迷しつつも持続する。民主党は発展途上むなしく解散に
「自民党」とは、自由民主党を略した言い方です。
1955年、自由党と日本民主党が合併して成ったのが自由民主党です。
現在における我が国・日本の価値観、伝統などを擁護しつつ、それを脈々と維持していこうという考え方を持つ保守的な政党です。
「民主党」は、2009年に劇的な勝利を収めて自民党から政権を奪取するも、その後の実現不可能な公約に自らが振り回される羽目に陥りました。
いわく、実施困難な財政支出削減計画の一環として掲げていたのは「公共事業廃止」や「天下り根絶」であり、教育支援面において掲げていたのは「子供手当て」や「高校授業無償化」などですが、これも収集がつかぬことになりました。
それらの埋め合わせのためか、「事業仕分けの実施で財政支出削減ができる」などと豪語したにも関わらず、平成22年度予算案において44兆円の赤字国債を発行することになり、多くの国民の期待を裏切りました。
2011年に起きた東日本大震災においては、原発事故対応にも後手後手に回り、指導力の無さを露呈しました。
急速に国民の求心力を失った結果、2012年には大敗。
その後、2016年に維新の党を吸収し、改名して成ったのが民進党です。
「民主党」の党名は、僅か20年でその役目を終えたのです。
自民党について
1955年に日本民主党と自由党が合同し、結成したのが自由民主党です。
略して自民党とされます。
自民、LDP(Liberal Democratic Party of Japan)などとも略されます。
結党に際し、党内外から広く公募された党名で、「日本保守党」、「民主自由党」、「保守党」、「日本国民党」などが挙げられましたが、結局は応募されてきた名は採用せずに「自由民主党」を党名としました。
自民党は、明治維新時代の議会制民主主義を基盤にしつつ、それに資本主義的思想を併合させ、日本の伝統や価値観を維持しながら国家を繁栄させていこうとする保守的な政党です。
資本家(経営者や投資家など)の利益に重きを置く傾向があると言えます。
2009年~2012年(平成21年~24年)は、民主党に政権交代を余儀なくされたものの、結党以来ほとんどの期間は政権与党の座に鎮座し続けています。
「自民党」は日本を代表する政党と言って良いでしょう。
長きに亘り、日本の政治の中心核として居続けている自民党は、多くの政治家を世に送り出しています。
総理大臣だけ見ても、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘、竹下登、海部俊樹、宮澤喜一(72歳にして総理総裁に就任)、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三(総理総裁に就任するも病に倒れ辞任。その後、再び総理の座に返り咲く。総理総裁に2度就任した)という名が挙がります。
特に小泉純一郎は、国民から圧倒的な支持を受け、小泉旋風と呼ばれるまでの現象を巻き起こしました。
発足時の内閣支持率も歴史上最高値を叩き出し、小泉人気衰えずの意気を見せ、2001年7月の参議院議員選挙では自民党が圧勝しました。
2005年頃から、「ポスト小泉」と呼ばれる人々の名が世間に登場しました。
麻生太郎、谷垣禎一、福田康夫、安倍晋三の4人がポスト小泉の名を継ぐにふさわしいとされました。
その後、2010年に民主党に大敗を喫しましたが、2011年の原発事故の対処能力の無さを民主党が露呈、その余波を受けた形で、2012年(平成24年)9月の総裁選で安倍晋三が選ばれ、自民党が再び与党完全復帰を果たしたのです。
自民党のシンボルマークは、「明るい太陽のもとで自由にのびのびと暮らす人びと」です。
わかりやすく政治を行う姿勢や、輝かしい太陽の光が人びとに降り注ぐ平等な愛情を意味しています。
党歌「われら」では、「すぐれた昔の文化をわれらの子らへ月日を経ても遺していこう」などという趣旨の言葉が謳われています。
「常に進歩を目指す保守政党」という政治理念です。
民主党について
民主党は、1988年に旧民主党、民政党、新党友愛、民主改革連合が合併してできました。
1998年4月27日から2016年3月27日までは存在していた政党です。
略して民主、DPJ(Democratic Party of Japan)と呼ばれます。
2009年9月から2012年12月までは自民党から政権を奪取し、日本の政治を動かしました。
いわく、2009年9月に悲願であった政権交代を実現し、鳩山由紀夫率いる鳩山内閣が成立したのです。
ひとりひとりが暮らしやすい日本を作り上げていく、というのが理念で、「共生社会をつくる」、「中小企業支援をする」、「酒税、及びたばこ税を引き上げる」、「原発を廃止する」などの政策を行っており、労働者や消費者の意見を代弁する立場にある政党でした。
2010年6月には、鳩山内閣総辞職に追われた後、党代表選実施により、副総理の菅直人が選ばれ、菅内閣が正式に発足しました。
2009年時点での民主党の主な公約は、主に以下の事項となります。
- 財政支出削減 → 議員定数削減、公共事業の廃止、天下り根絶など
- 教育支援 → 子供手当ての支給、高校授業料の無償化
- 高齢者福祉 → 年金制度の一元化、後期高齢者福祉制度の廃止など
- 地域主催 → 高速道路無料化など
しかしながら、以上の政策を実施する財源を確保できず、財政支出削減目的で「事業仕分け」を行うも、過去最大44兆円もの赤字国債を発行してしまいました。
財政的に実現困難な公約を掲げて徐々に追い込まれていた折り、2011年(平成23年)に東日本大震災が起こりました。
その危機対応能力の無さや、対処における不手際により、管直人率いる内閣は総辞職に追い込まれてしまいました。
その後、「泥臭く黙々と仕事をこなしていく姿勢で政治を前進させ、地道に国民の信頼を取り戻す」という謳い文句と共に、ナマズ総理よろしく野田佳彦が首相となりましたが、発足当時から閣僚の不祥事や離党者が後を絶たず、そのとき既に民主党は分裂寸前でした。
2012年(平成24年)9月の総裁選で、自民党の安倍晋三が華々しく返り咲くと同時に、民主党は衰退の一途をたどりました。
その後、2016年に維新の党を合併吸収し、「民進党」と改名。
20年使われた「民主党」の党名は、いまや過去のものとなったのです。
まとめ
自民党と民主党の違いを見てきました。
国民にしてみれば、「皆が将来の不安もなく、明るく楽しく暮らしていける素晴らしい未来を確約してくれる政党」であれば、結局はどんな名前でも別に構いませんよね。
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