いざ、質問されると答えに窮するのが言葉の使い分けです。
外国語を学ぶ際は客観的な目で捉えることができますが、母語となれば話は別です。
最も身近にあるものを客体化して考えることを普段の生活の中であまりしないと思いますが、それに挑戦します。
素足とはだしの使い分け!違いはどこにあるの?
私たちの周りには黙視することはできませんが、たくさんの空気があります。
日常生活の中で無意識のうちに使い分けている、言葉の使い分けについて今回は考えていきます。
素足の示す意味は?
よく母親から子どもの頃に、こんな注意をされたことはありませんか?
「素足で靴を履いたら臭くなるでしょ」と、男性ならば思い当たる人が多いかもしれませんね。
あるいは、「こんな寒い日に素足でいたら、足が冷たくなるから靴下を履きなさい」などと。
このように、素足とは靴下を履いていない状態を指し、爪先から足首に焦点が向けられています。
その証左として、「素足で歩き回る」、「素足で校庭を走る」といった表現が存在しないことを挙げることができます。
これに関連してストッキングやタイツを履いていない女性の足を「生足」と形容することがあります。
この場合は、素足の時よりも範囲が広くなり爪先から太もものあたりを指すことになります。
はだしの示す意味は?
世界の国々の中には、はだしで暮らしている人々もたくさんいます。
一時期、女性歌手がはだしで歌う姿が話題に上ったことがありました。
もっと身近なところに目を向けてみることにします。
近くの小学校の運動会の様子を見たことがありますが、昔とは異なりはだしの子どもはいませんでした。
周知のように「はだし」とは、靴を履かずに地面を歩くような状況を表しています。
ですから、「はだしで校庭を駆ける」と言うことができても、「はだしに靴を履く」とは言えません。
漢字で書けば、裸足、文字通り裸の足で、靴を履いていない無防備なさまが表現されています。
はだしという語を使う際には、靴の装着の有無が言葉の選択に関わっていると言えそうです。
まとめ
素足は靴下を身につけていない状態を表し、裸足は靴を履いていない状態を示していることが分かりました。
これら2つの使い分けを私たちは無意識のうちに行っていたのですね。
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