誰か、何か寄りそってくれるものがほしいのに、それがなくて一人ぼっちで孤独なとき。
人やものが少ないか全くなくてにぎわいが感じられないとき。
常日頃あるものがなくて物足りないとき。
これらの情景を表す言葉に「寂しい」と「淋しい」が使われます。
はて?どちらを使って良いのやら。
その答えを探っていきましょう。
「寂しい」、「淋しい」、成り立ちの違いと使い分け方
どちらも「さびしい」、または「さみしい」と読みます。
前置きで述べたように、心身共に物足りないときや、人や物が少ない様を表現するときに使います。
つまり、どちらも同じ読み方で、使い方も一緒なのです。
ただ、それぞれの成り立ちは少々違いますし、表現の仕方によって漢字と読み方が異なってきます。
漢字の成り立ち
「寂」のウ冠は屋根と家屋、左側は枝に付いた豆、右側は右手の象形文字からきています。
枝に付いた豆の象形文字は「弔」にも通じて同じ意味になり、亡くなった人を弔う様を表現するようになり、続いて家の中が「さびしい」と意味するようになってきました。
こうして、「静寂」や「閑寂」といった言葉が生まれたのです。
「淋」の左側は流れる水を意味しています。
右側は木が立ち並ぶ様、転じて空間をどこまでも広く長く独占する様を意味しています。
このことから、そこで雨が長く降り続く様子を表す漢字となりました。
更に、物をつたって絶え間なくしたたり落ちる様子、病で体液がしたたる様子に「淋雨」や「淋漓」と使われるようになりました。
そして、そこに誰もいない、近寄らない様子として「さびしい」にも使われるようになったのです。
つまり、「寂しい(さびしい)」が最も正しい使い方と言えます。
今日のテレビや雑誌などでも常用漢字として「寂しい(さびしい)」の方が使われています。
「淋」の字は文脈の状況に合わせた使用が効果的でしょう。
場合によっては読み方が変わる
簡単に言えば、主観的に自分の気持ちを表現するのに「さみしい」を、客観的に周りの状況を見て表現するのに「さびしい」を使います。
例えば、主観的には「話し相手がいなくてさみしい」、客観的には「ここは誰もいなくてさびれている」ですね。
古くは鎌倉時代以前より存在していると言います。
古語で「さびし」「さぶし」として存在し、「さびしい」となってきました。
「さみしい」という読み方は江戸時代頃から現れたといいます。
まとめ
公的な場や文書では「寂しい」「さびしい」の方が適しています。
一方で、雰囲気や心理的な表現で「淋しい」を使うのも間違いではありません。
どうしても「さみしい」と読ませたいのであれば、読み仮名を付けるか、平仮名のまま使うと良いでしょう。
日本語の厄介な一部分で少々ややこしくはありますが、美しい描写になることもあります。
その時に合った使い方をしましょう。
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