会話の中で、落とし所が見つからないと「価値カンが違うから、話しても仕方がないね。」とどちらかが言葉を発します。

そうすると、言われた方は、当たり前の様に話題を変えます。

きっと諦めてしまうのですね。

相手から「価値カンが違うから・・・」と言われると、仕方なく納得してしまいます。

実は、「価値観」と「価値感」は、字が違うために意味が違うはずなのです。

でも、会話中に「どっちの意味だろう・・・」などと考えることなどないですよね。この「感」と「観」の一文字でどこが変わるのでしょうか。

「価値観」の「観」、そして、「価値感」の「感」の違いは何でしょう。

「観」は、目で注意深く「観る」、「感」は、五感で「感じる」、文字の違いでいうとこのくらいの想像は付きますが、詳しいことは、考えてもいませんでしたし、間違っているかも知れません。

これから「価値観」と「価値感」について調べてみます。

コロン セミコロン カンマ

「価値」とは

「価値」には、基準がありません

「価値」は、人それぞれ違うものです。

人が「これは価値がない」と判断しても、自分が「価値がある」と判断すれば、それはその人にとって「価値があるもの」なのです。例えば、お土産などを包んでいる包装紙を集める人がいて、その人が友達に、そのコレクションを見せながら、どんなに貴重で素晴らしいものであると語っても、見せられた人が同じ思いでいてくれないと、その貴重さや素晴らしさは伝わりません。

「価値」とは、そういうものなのです。

「価値観」について

調べてみると、「価値」があると思うものは人それぞれであって、「これには価値がある」と判断する感覚が「価値観」の様です

「価値観」とは、「自分に決定権ある」ことの様で、「自分に決定権がある」ということは、もっと自分の深いところ、言い換えれば「こだわりの様なもの」で、その場その場で簡単にコロコロと変わるものではない様です。

「価値感」について

上記の「価値観」と比べると、「価値感」とは、人と自分を比べて自分で考えることを止め、自分の価値を諦めや隠してしまう、まさに「相手任せ」の様です

「相手任せ」ということは、良くいえば「長いモノには巻かれて世渡り上手」かも知れませんが、「自分がない」ということになります。

「自分がない」ということは、いざとなった時、自分の意見をはっきりと伝えられず、結局のところ、余り良い印象を与えられないということにもなりかねません。

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まとめ

「か・ち・か・ん」・・・同じ音ですが、全く違うモノの様でした。

「価値観」は「自分のこだわりの様なもの」であり、「価値感」は「受け身」の印象が強い様に感じました。

冒頭の「価値カンが違うから、話しても仕方がないね。」について考える時、どうも「価値感」の方ではないかなと感じます。「価値感」の方で話をしていると、会話が成り立たなくなります。

空気が重くなり、沈黙が訪れます。

かといって、「価値観」で話すと、どんどん自己主張が強くなり喧嘩に発展するかも知れません。

ここは一つ、相手をよく観察して、使い分けるのが得策ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

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