どちらも似たようなイメージがあるけれども、何となくどこかが違うような…と思っている方は多いのではないでしょうか?

「学習する」、「勉強する」と口に出してみると、より違った雰囲気になるはずです。

その違いをはっきりさせていきましょう。

学習 勉強 違い

違いは字面と意味から見えてくる

「経験をする」という意味はどちらにもあります。

それに対する自分の姿勢や気持ちを思い返してみましょう。

「経験して学習する」、「経験して勉強になった」

やはり、似てはいるけれど、何かが違いますよね。

字面から違いを見る

「学習」を「学」と「習」、「勉強」を「勉」と「強」に分解します。

「学」は「まなぶ」。

知識や技術を得ることを意味しています。

「習」は「ならう」。

教えを受けて身につけること。

「勉」は「つとめる」。

これは努力と同じく、力を尽くして物事を成し遂げる、つかみ取ることの意味になります。

「強」は「つよい」と「しいる」がありますが、ここでは何かを無理にする(させる)、強制や強要といった「しいる」の方が当てはまります。

こうして解くと、「学び習う」、「習って学ぶ」、「強いて勉める」、「勉めることを強いる」、という文章になります。

だんだんと違いが浮き彫りになってきました。

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意味の違い

「学習」は、例えば何かを習う時は必ずと言っていい程、お手本がありますよね。

習字が文字通りの典型的な例になります。

他にもスポーツ関係や日々の何気ない仕草、お箸の使い方などなど…初めにお手本や見本があって学ぶことができます。

学校の授業でも、数学であれば解き方を習って学びます。

これは他の動物にも言えることです。

狩りの方法や群れの中での立場、仲間同士の力加減などですね。

習って学んだ経験を繰り返して身に染み込ませることが「練習」になります。

「勉強」は「努力」や「練習」に近い意味合いです。

答えや結果に向かうまで、どうやって自分のやりやすいようにするか、導きやすいようにするか手順などを工夫する過程を表します。

それは時に、無理をすることがありますよね。

強制されて嫌々実行することもあるでしょう。

商売をしている人が値引きをする時に言う「勉強させてもらいます」というのも、無理をしているからこそ言っているのです。

また、他者から習うのではなく自発的に学ぶことも「勉強」と言えます。

その結果がよく言う「自己流」や「我流」という言葉に結びつきます。

あることがわからない状態から、経験して初めて理解することも、「勉強になった」と言います。

まとめ

簡単に言えば、「学習」は他者から経験する。

「勉強」は自ら経験する、ということです。

ちなみに、この両方の意味が合わさった言葉が「勉学」です。

極端な例ですが、「学習ドリルを使って勉強する」も「勉学」と言えます。

この文章を見て学ぶという行為は、他者から強制されてか、自ら調べることによって勉強して、答えを見て学習する…つまり勉学していることになります。

その中で、少しでも参考になれたのなら幸いです。

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